お金が余る残酷な世界
ぺーやんです。
現代はたくさんの物に溢れ、お金がジャブジャブに刷られることで金余りの時代になっています。
世界のGDPは伸び続けており、今まで新興国で物を買えたなかった層が、急激に豊かになってきています。
そして、それ以上に金融資本は増加しており、人類は経験したことのない程の豊かさを受理できる環境が整っています。
しかし、どの国でも格差は拡大しており、使い切れないほどのお金や富があるにも関わらず、それを受理できない人達がいます。
どうして、同じ世界を生きているのに、これほど格差が拡大していくのでしょうか?
それは、一部の人が資本主義のルールを理解しており、ルールを使いこなす人が豊かになれる社会だからです。
日本では昔、国の政策によって推奨されてい預金が、今だに親を通じて子供に伝えられ、あたかもそれがお金を貯める上でベストであるかの様に思われています。
しかし、それは昔は正しかった方法で、今後もそれが正しいとは限らないのです。
例えば、昔の日本は経済成長によって、銀行預金をしていれば、金利という形で日本の成長を受理できていました。
そして、好景気の中で自分という労働資本を使い運用する事で、日本は世界に誇れる様な経済大国になったのです。
しかし、今はどうでしょうか?
サラリーマンで自分を労働資本として運用しても、過去ほどのリターンを得ることは難しくなり、そこから引かれる税金も増加しています。
又、預金に対する金利も付かず、逆に物価上昇によりお金の価値が目減りします。
つまり、これらの方法は現代で資産を作るには、時代遅れの方法と言え、努力をしても報われない可能性が高いのです。
それでは、お金持ちはどうしているかというと、自分のお金を使い金融資本でお金にお金を産ませることで、世界の成長に乗り資産を増加させているのです。
そして、現代はインターネットを通じて、誰もが投資をできる環境が整っており、誰もが資産家になることができます。
それを実践しどんどん豊かになる層と何も知らずにせっせと働き預金に励む層、2つの間には埋めることのできない、絶望的な格差が開いていくといえるのです。
そして、現代はお金が余り、誰もがお金持ちになれる可能性があるのに格差が生まれる、残酷な世界にぼくたちは生きているといえるのです。